事業への思い

柿畑の維持と商店街の活性化

始まりは2020年、山鹿市菊鹿町の干し柿加エグループから渋柿畑と加工を継承した一人の事業者の思いからスタートしました。

渋柿の生産は長年価格の低迷が続き、さらに高齢化と後継者不在が追い打ちをかけ継続が困難になっています。
このままでは、あと数年で渋柿畑のほとんどが耕作放棄地となってしまいます。
一昔前までは、どこの家も秋になると家族で柿の皮をむき軒先に用るしたものです。日本の冬支度の一つでもありました。
何とかこの風習を残したい、渋柿畑を活かしたい。そんな思いから、生産の現場だけでは解決できない課題を商店街の賑わい創出という思いも込めて、豊前街道の干し柿の活動を進めています。
その先に描くのは、若手の農業参入、そして高齢者が活躍する年金補填型の隙間バイトです。この活動は農家と商店街がタッグを組み、さらに福祉施設や学校、一般市民、そして行政がそれぞれの得意分野を活かした地域創生の実験でもあります。
山鹿のあちこちに吊るし柿が干され、その光景は山鹿の新たな風物詩として多くの人を引き寄せ、町の賑わいとなることを願って活動を続けています。

晚秋の豊前街道

熟れゆく柿に魅せられて

豊前街道とは肥後の熊本から北へ、植木、山鹿、南関を経て豊前・小倉(北九州)までの道を指します。
江戸時代のころから参勤交代道として栄え、特に湯の里として知られる山鹿は宿場町としてにぎわいました。往時の面影を残す町並みは、市の中心部に約1.3km続いています。
明治43(1910)年に建設され国指定重要文化財にもなっている芝居小屋「八千代座」や100年以上造り酒屋として看板を掲げる「千代の園酒造」など歴史的建造物が残ります。
近年は、吊るし柿によってオレンジに輝く街道をカメラに収めようと、県内外を始め海外からも観光客が足を運んでいます。

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