世界とつながる小さくて強い地域

現在、日本に存在する数千軒~万におよぶ農産加工組織は、高齢化と後継者不在により存亡の危機にあります。

農産加工組織は、里山の食文化を創出し、守り続けてきた存在であり、組織の消滅はそのまま食文化の消滅を意味します。

山鹿の里山で20年以上干し柿(あんぽ柿)作りをやってきた菊鹿町干し柿研究会は、高齢化で事業継続が困難になり、3年前、私たちに事業継承の相談が持ち込まれました。

私は組織の会長に事業継承の条件を提示しました。

「私はみなさんと同じ高齢者であり、私が事業を継承しても10年が限度である、私の子供たちは30代であり、彼らと干し柿加工が“おもしろい”という価値を共有できたら事業継承を前向きに検討します」と。

早速、6人の息子夫婦に集まってもらい、話をしました。

私が子供たちに伝えたのは、「あんぽ柿は里山の食文化であり、あんぽ柿が無くなれば、食文化の1つが無くなると同時にあんぽ柿を作る仕事も無くなる、さらにあんぽ柿の原料である渋柿圃場は耕作放棄地となる。

もし、あなたたちが、あんぽ柿を作ることが“面白い”と思い、事業に取り組むのであれば、それは若者が農産加工に興味を持ち、事業継承する全国モデルとなる」と。

それを聞いたパティシエの三男は、あんぽ柿のチョコ掛けなんか面白い。
ジェラートを作る長男は、あんぽ柿にジェラートを詰めよう。

そして私たちは、干し柿加工事業を継承することになりました。

菊鹿町の圃場で渋柿を生産する農家は10数軒ありますが、全員が高齢者で後継者がいる農家は1軒もありません。

担い手は既に70歳を超えており、あと数年で渋柿圃場の全てが耕作放棄地になるという現実が待っています。

なぜ、後継者がいないのか、その答えは明確です。

渋柿の相場価格が生産コストを割り込み、生業としての渋柿生産が難しくなったからです。
これらの課題は長年続き、その結果、農業後継者を現場から遠ざけていきました。

私は農業現場だけでは解決できない課題解決に思いを巡らせ、農産物の相場制度からの離脱と商店街の賑わい創出を結びつける構想を描きました。

それが「豊前街道柿がつなぐまちあかり」です。

その先に見据えるのは、若者、高齢者の渋柿就農、商店街の賑わい創出、農福連携、農学連携、農台交流、行政共創による地域創生の文化醸成です。

そして“世界とつながる小さくて強い地域”を形成していきます。

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